「水の生まれる里」北海道・清里町。 北海道の北東部に位置する清里町には、その名の通り清らかな水と、綺麗な水が生んだゆったりとした風景が広がります。 清里町の名産品であるじゃがいも焼酎「北海道 清里」には、この土地ならではの魅力がぎゅっと詰まっています。 そんな「北海道 清里」は、その成り立ちから現在に至るまで、想いのバトンを綿々と繋いできました。 今回はじゃがいも焼酎「北海道 清里」に詰まった清里町ならではの魅力やこだわりをご紹介します。 実際に取材に行ったからこそ得られた生の情報をお届けしますので、ぜひご一読ください。 じゃがいも焼酎「北海道 清里」の原点から今に至るまで 製造当初から今まで町民から広く愛されるじゃがいも焼酎「北海道 清里」。 「北海道 清里」は、1975年に自治体主導の焼酎蔵として事業を開始して以来、50年弱の歴史があります。 その始まりから今に至るまで、さまざまな人の想いがバトンのように繋がれてきました。 町民の想いをカタチに 百名山・斜里岳から流れる清らかな水と肥沃な土壌。 そして雨の少ない環境と日本屈指の大規模農業を活かして、清里町では昔から馬鈴薯(ジャガイモ)や小麦、甜菜(ビート)といった畑作が盛んに行われてきました。 しかし、それらの農作物は出荷後にでんぷんや砂糖など、他の形に加工されてしまい、町としての特産品はない状態でした。 そういったなかで、町民の「清里町の誇れる特産品がほしい」という想いが生まれ、1975年に自治体主導でじゃがいも焼酎の事業を始めました。 戦時中、清里町からほど近い北見市で、じゃがいもからアルコール燃料を作る事業が行われていた背景もあり、「じゃがいもからアルコールができるのなら、焼酎もできるのではないか」という発想から、じゃがいも焼酎が生まれたそうです。 全くのゼロから手探り状態でのスタートを切った焼酎造り。 当時清里町に入庁したばかりのひとりの町職員が、街からの勅命を受け、焼酎造りという困難なプロジェクトに取り組むことになりました。 彼は明治時代からの歴史ある国立醸造試験所での約1年間の研修後、4年近い試験製作を行い、1979年に「じゃがいも焼酎 きよさと」として販売を開始...
世界自然遺産知床からほど近く斜里岳が悠然とたたずむ美しい町、北海道・清里町。 ここには、自然豊かな清里町の恵みを最大限活かした焼酎造りを営む「清里焼酎醸造所」があります。 そこで主査として清里焼酎醸造所を統括する廣谷さんは、ある想いを持って焼酎造りに取り組んでいます。 今回は廣谷さんに、綿々と受け継がれてきた焼酎造りにかける想いや、今後の展開についてお話をお伺いします。 清里焼酎醸造所主査・廣谷さん 清里焼酎醸造所1975年に、「清里町産として誇れる特産品が欲しい」という町民の声から、日本で初めてとなるじゃがいも焼酎造りを開始。原材料のほとんどが清里町産であり、製造開始から約50年経つ現在でも、町民の間で広く愛されています。2014年にはリブランディングを行うなど、今後さらに世に広まっていくことが期待されます。 清里焼酎醸造所ご提供写真 詳しくはこちらの記事をご一読ください。▼清里焼酎醸造所・じゃがいも焼酎の記事はこちら!<紹介記事リンク> ご経歴:醸造学科を卒業し焼酎の道へ ー本日はよろしくお願いいたします。まずは簡単にご経歴をお伺いできますか? よろしくお願いします。 北海道網走市で生まれ育ち、高校時代に「発酵」に興味を持ちました。その後、東京農業大学醸造科学科に進学して微生物について学びました。 大学卒業後にご縁があり、北海道に戻ってきて、この焼酎蔵で働いています。 現在は勤めてから15年が経ち、主査として「焼酎造り」に広く携わっています。 ーなかなか面白いご経歴ですね!なぜ高校時代に「発酵」というニッチな分野に興味を持たれたのでしょうか? 大きく何かきっかけがあったというわけではないのですが、理由の一つに、お酒などの発酵食品に興味があったことが挙げられます。 また、今でいうSDGsのような環境的持続性を考えるなかで、これからの社会において「発酵」は重要で、微生物を使った醸造学が盛り上がるのではないかと思いました。 専攻としては「酒造り」ではなく、微生物を使った「環境改善」がテーマでしたが、当時学んだことは今でも仕事に繋がっています。 ー先見の明がすごいですね!大学で学ばれた後に、就職に際してUターン(地元に帰って働くこと)されたんで...
北海道の北東部に突き出た、大自然が色濃く残る知床半島。 知床半島の豊かな生態系を支える一つに、羅臼岳・硫黄山・天頂山が連なる知床連山があります。 今回は、その知床連山で専門山岳ガイドを20年近く続けている知床のプロ「知床山考舎」の滝澤さんに、ガイドを始められた経緯や想いをテーマにお話を伺いました。 20年近く変わらない想いを抱き続ける滝澤さんのお話は、自然を愛する人なら誰もが共感するものだと思います。 どうぞ最後までお読みください。 知床山考舎・滝澤さん 経歴:博物館、地方公務員、そして知床山考舎の旗揚げ ー本日はよろしくお願いします。簡単に現在の山岳ガイドとしての活動をご紹介いただけますか? よろしくお願いします。 知床連山をはじめとした、北海道のさまざまな山々のプライベートガイドをしています。 そのほかにも、ツリーイングのインストラクターから、取材のガイドやコーディネーターまで幅広く活動しています。 また、羅臼岳などの山岳環境の保全活動にも主体的に取り組んでいます。 保全活動のご様子。近自然工法を採用している。知床山考舎様ご提供 ーありがとうございます!今は専門の山岳ガイドとして活動されている滝澤さんですが、これまでのご経歴をお伺いできますか? 函館の隣町である北斗市で生まれ、高校まで函館で過ごしました。 その後は大学進学に伴い札幌に移り、在学中の4年間は札幌近郊の江別市にいましたね。 高校、大学と、ボート部やワンダーフォーゲル部に所属していたので、学生時代から常に自然には触れていました。 大学生のとき、学芸員を目指して部活に励んでいたところ、ちょうど知床博物館で調査補助員の求人募集があり、知床に来ることになりました。 調査補助員として採用されて、夏の間は遺跡の発掘に関わっていましたが、冬の間は館内で学芸員の補助としていろいろな体験をさせてもらいました。 その後は周りの勧めもあり、公務員試験を受けて斜里町に採用され、自然保護係に配属されました。 そこでは、知床100平方メートル運動の事務局や知床エリアの調査でヒグマの捕獲を手伝うなど、一般に知床を楽しむ以上のことをさせてもらいましたね。 自然保護係として勤務したあと、観光課でも働きましたが...
「水の生まれる里」北海道・清里町。 北海道の北東部に位置する清里町には、その名の通り清らかな水と、綺麗な水が生んだゆったりとした風景が広がります。 清里町の名産品であるじゃがいも焼酎「北海道 清里」には、この土地ならではの魅力がぎゅっと詰まっています。 そんな「北海道 清里」は、その成り立ちから現在に至るまで、想いのバトンを綿々と繋いできました。 今回はじゃがいも焼酎「北海道 清里」に詰まった清里町ならではの魅力やこだわりをご紹介します。 実際に取材に行ったからこそ得られた生の情報をお届けしますので、ぜひご一読ください。 じゃがいも焼酎「北海道 清里」の原点から今に至るまで 製造当初から今まで町民から広く愛されるじゃがいも焼酎「北海道 清里」。 「北海道 清里」は、1975年に自治体主導の焼酎蔵として事業を開始して以来、50年弱の歴史があります。 その始まりから今に至るまで、さまざまな人の想いがバトンのように繋がれてきました。 町民の想いをカタチに 百名山・斜里岳から流れる清らかな水と肥沃な土壌。 そして雨の少ない環境と日本屈指の大規模農業を活かして、清里町では昔から馬鈴薯(ジャガイモ)や小麦、甜菜(ビート)といった畑作が盛んに行われてきました。 しかし、それらの農作物は出荷後にでんぷんや砂糖など、他の形に加工されてしまい、町としての特産品はない状態でした。 そういったなかで、町民の「清里町の誇れる特産品がほしい」という想いが生まれ、1975年に自治体主導でじゃがいも焼酎の事業を始めました。 戦時中、清里町からほど近い北見市で、じゃがいもからアルコール燃料を作る事業が行われていた背景もあり、「じゃがいもからアルコールができるのなら、焼酎もできるのではないか」という発想から、じゃがいも焼酎が生まれたそうです。 全くのゼロから手探り状態でのスタートを切った焼酎造り。 当時清里町に入庁したばかりのひとりの町職員が、街からの勅命を受け、焼酎造りという困難なプロジェクトに取り組むことになりました。 彼は明治時代からの歴史ある国立醸造試験所での約1年間の研修後、4年近い試験製作を行い、1979年に「じゃがいも焼酎 きよさと」として販売を開始...
世界自然遺産知床からほど近く斜里岳が悠然とたたずむ美しい町、北海道・清里町。 ここには、自然豊かな清里町の恵みを最大限活かした焼酎造りを営む「清里焼酎醸造所」があります。 そこで主査として清里焼酎醸造所を統括する廣谷さんは、ある想いを持って焼酎造りに取り組んでいます。 今回は廣谷さんに、綿々と受け継がれてきた焼酎造りにかける想いや、今後の展開についてお話をお伺いします。 清里焼酎醸造所主査・廣谷さん 清里焼酎醸造所1975年に、「清里町産として誇れる特産品が欲しい」という町民の声から、日本で初めてとなるじゃがいも焼酎造りを開始。原材料のほとんどが清里町産であり、製造開始から約50年経つ現在でも、町民の間で広く愛されています。2014年にはリブランディングを行うなど、今後さらに世に広まっていくことが期待されます。 清里焼酎醸造所ご提供写真 詳しくはこちらの記事をご一読ください。▼清里焼酎醸造所・じゃがいも焼酎の記事はこちら!<紹介記事リンク> ご経歴:醸造学科を卒業し焼酎の道へ ー本日はよろしくお願いいたします。まずは簡単にご経歴をお伺いできますか? よろしくお願いします。 北海道網走市で生まれ育ち、高校時代に「発酵」に興味を持ちました。その後、東京農業大学醸造科学科に進学して微生物について学びました。 大学卒業後にご縁があり、北海道に戻ってきて、この焼酎蔵で働いています。 現在は勤めてから15年が経ち、主査として「焼酎造り」に広く携わっています。 ーなかなか面白いご経歴ですね!なぜ高校時代に「発酵」というニッチな分野に興味を持たれたのでしょうか? 大きく何かきっかけがあったというわけではないのですが、理由の一つに、お酒などの発酵食品に興味があったことが挙げられます。 また、今でいうSDGsのような環境的持続性を考えるなかで、これからの社会において「発酵」は重要で、微生物を使った醸造学が盛り上がるのではないかと思いました。 専攻としては「酒造り」ではなく、微生物を使った「環境改善」がテーマでしたが、当時学んだことは今でも仕事に繋がっています。 ー先見の明がすごいですね!大学で学ばれた後に、就職に際してUターン(地元に帰って働くこと)されたんで...
北海道の北東部に突き出た、大自然が色濃く残る知床半島。 知床半島の豊かな生態系を支える一つに、羅臼岳・硫黄山・天頂山が連なる知床連山があります。 今回は、その知床連山で専門山岳ガイドを20年近く続けている知床のプロ「知床山考舎」の滝澤さんに、ガイドを始められた経緯や想いをテーマにお話を伺いました。 20年近く変わらない想いを抱き続ける滝澤さんのお話は、自然を愛する人なら誰もが共感するものだと思います。 どうぞ最後までお読みください。 知床山考舎・滝澤さん 経歴:博物館、地方公務員、そして知床山考舎の旗揚げ ー本日はよろしくお願いします。簡単に現在の山岳ガイドとしての活動をご紹介いただけますか? よろしくお願いします。 知床連山をはじめとした、北海道のさまざまな山々のプライベートガイドをしています。 そのほかにも、ツリーイングのインストラクターから、取材のガイドやコーディネーターまで幅広く活動しています。 また、羅臼岳などの山岳環境の保全活動にも主体的に取り組んでいます。 保全活動のご様子。近自然工法を採用している。知床山考舎様ご提供 ーありがとうございます!今は専門の山岳ガイドとして活動されている滝澤さんですが、これまでのご経歴をお伺いできますか? 函館の隣町である北斗市で生まれ、高校まで函館で過ごしました。 その後は大学進学に伴い札幌に移り、在学中の4年間は札幌近郊の江別市にいましたね。 高校、大学と、ボート部やワンダーフォーゲル部に所属していたので、学生時代から常に自然には触れていました。 大学生のとき、学芸員を目指して部活に励んでいたところ、ちょうど知床博物館で調査補助員の求人募集があり、知床に来ることになりました。 調査補助員として採用されて、夏の間は遺跡の発掘に関わっていましたが、冬の間は館内で学芸員の補助としていろいろな体験をさせてもらいました。 その後は周りの勧めもあり、公務員試験を受けて斜里町に採用され、自然保護係に配属されました。 そこでは、知床100平方メートル運動の事務局や知床エリアの調査でヒグマの捕獲を手伝うなど、一般に知床を楽しむ以上のことをさせてもらいましたね。 自然保護係として勤務したあと、観光課でも働きましたが...