世界自然遺産知床からほど近く斜里岳が悠然とたたずむ美しい町、北海道・清里町。
ここには、自然豊かな清里町の恵みを最大限活かした焼酎造りを営む「清里焼酎醸造所」があります。
そこで主査として清里焼酎醸造所を統括する廣谷さんは、ある想いを持って焼酎造りに取り組んでいます。
今回は廣谷さんに、綿々と受け継がれてきた焼酎造りにかける想いや、今後の展開についてお話をお伺いします。

清里焼酎醸造所
1975年に、「清里町産として誇れる特産品が欲しい」という町民の声から、日本で初めてとなるじゃがいも焼酎造りを開始。原材料のほとんどが清里町産であり、製造開始から約50年経つ現在でも、町民の間で広く愛されています。2014年にはリブランディングを行うなど、今後さらに世に広まっていくことが期待されます。

詳しくはこちらの記事をご一読ください。
▼清里焼酎醸造所・じゃがいも焼酎の記事はこちら!
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ご経歴:醸造学科を卒業し焼酎の道へ
ー本日はよろしくお願いいたします。まずは簡単にご経歴をお伺いできますか?
よろしくお願いします。
北海道網走市で生まれ育ち、高校時代に「発酵」に興味を持ちました。その後、東京農業大学醸造科学科に進学して微生物について学びました。
大学卒業後にご縁があり、北海道に戻ってきて、この焼酎蔵で働いています。
現在は勤めてから15年が経ち、主査として「焼酎造り」に広く携わっています。

ーなかなか面白いご経歴ですね!なぜ高校時代に「発酵」というニッチな分野に興味を持たれたのでしょうか?
大きく何かきっかけがあったというわけではないのですが、理由の一つに、お酒などの発酵食品に興味があったことが挙げられます。
また、今でいうSDGsのような環境的持続性を考えるなかで、これからの社会において「発酵」は重要で、微生物を使った醸造学が盛り上がるのではないかと思いました。
専攻としては「酒造り」ではなく、微生物を使った「環境改善」がテーマでしたが、当時学んだことは今でも仕事に繋がっています。
ー先見の明がすごいですね!大学で学ばれた後に、就職に際してUターン(地元に帰って働くこと)されたんですね。
高校時代まで北海道で暮らしていて、働くならやっぱり自分の生まれた場所で働きたいという思いがありました。
その当時、この清里醸造所も後継者がいないということで大学の醸造科に募集をかけていまして、そこで私が手を挙げた形です。
当時の所長は、事業を始めた頃から焼酎造りを一身に受け持ってこられた方で、お酒造りの知識や設備が全く何もないところから、設計など醸造を確立されたんです。
話を聞いてみて、「この人の下でなら働いてみたい」と思い、ここで働くことにしました。

新しい焼酎のあり方を考える:リブランディングへの取り組み
ー焼酎造りに携わって15年、さらに現在は主査という立場で焼酎造りを統括されていらっしゃいますが、具体的にどのようなお仕事をされていらっしゃいますか?
あまり大きくない醸造所ということもあり、醸造から販売まで、自分ができることはなんでも手広く携わっていますね。
醸造のシーズンは醸造にかかりっきりになってしまいますが、それ以外のシーズンは展示商談会に出展したり、取引先への挨拶周りも行っています。
ーこれまでの15年間で印象深い取り組みはありましたか?
2012年ごろから、じゃがいも焼酎全体のリブランディングに取り組みました。
新しい焼酎のあり方を考えながら、職場環境の変化もあったので、変化が多く大変な時期でしたね。
<リブランディングとは・カード挿入>

ーデザインがとにかくかっこいい!リブランディングに取り組んだ理由や背景は何かあったのでしょうか?
2003年から続いていた本格焼酎ブームの落ち着きによって売り上げが目に見えて落ちていたことと、その施策として商品種類を増やしていたことがあります。
売り上げに対して何か手を打たなければいけないと考えていました。
そのうえ、商品種類が増えれば増えるほど経費がかかってきますし、デザイン的なばらつきも気になっていたので、デザインを変更できないか、個人的に取り組んでいました。
そんなとき、当時江戸川大学の教授だった、ローカルデザインの第一人者である鈴木輝隆氏のご助力をいただくことになり、デザイン事務所と一緒に焼酎全体のリブランディングに取り組むことになりました。

ーリブランディングにおいて廣谷さんはどのような関わり方をされたのでしょうか?
デザインをするにあたって、私たち清里町がどのようなことを伝えたいのか、また何を軸にするのかということを明確にする必要がありました。
デザイナーの方にも実際に清里町に来ていただいて、清里町の景観をはじめとした街のイメージを掴んでいただき、私たち職員だけでなく一般の町民の方々を巻き込んで、その軸を決めていきました。
新しいロゴやボトルデザイン、コンセプトに至るまで、全てそのとき決めた軸を中心に作られています。
▼詳しいリブランディングの話はこちらの記事をご一読ください。
<紹介記事へのリンク>
「受け継いで今後に繋いでいく」廣谷さんの想い
50年近く伝統が続くじゃがいも焼酎を、ただ守るだけでなく、より広く伝えるために“攻め”の施策に取り組む廣谷さん。ここからは廣谷さんの想いについてお話をお伺いします。
ー焼酎造りに携わって15年、さらに現在は主査という立場で焼酎造りを統括されていらっしゃいますが、どのような想いでいらっしゃいますか?
これまで50年近く、町民に愛されながら綿々と受け継がれてきたじゃがいも焼酎を受け継いで今後に繋いでいくというのが私の使命であると思っています。
ー素敵ですね!そのような想いをお持ちになった理由は何でしょうか?
そもそもじゃがいも焼酎ができたきっかけが、町民の「清里町産として誇れる特産品が欲しい」という想いなんです。
そして、そのような町民の想いをじゃがいも焼酎の生みの親である故・長屋氏が何もない状態からカタチにしていきました。
そのような綿々と紡がれた想いを引き継いだからこそ、清里町が存続する限りじゃがいも焼酎を造り続けていきたいと思います。
そして、これまでの担当者がゼロから作り上げた焼酎の造り方や売り方などを含めて今後の世代に繋いでいきたいですね。

世界を見据えて足元を固める
ー今後、そのような想いを伝えていくためにどのような人々に届けたいと思いますか?
第一に、焼酎好きの方に「こんな焼酎もあるんだよ」とお知らせしていきたいです。
それに加え、北海道の本格焼酎に馴染みのない人たちがたくさんいるので、「北海道の地酒としてこんなものがあるんだよ」というのを広く知っていただきたいなと思います。
とはいえ、じゃがいも焼酎の認知度自体がまだまだ低い状態です。
じゃがいも焼酎ってこういうものなんだよ、というところから丁寧に伝えていくことが必要だと考えています。
ー2014年には大々的なリブランディングも行われていますよね。リブランディングをされていかがでしたか?
前のデザインだと焼酎好きの方が買っていくイメージが強かったんですけど、デザイン変更後は普段焼酎を飲まない人にも手に取って選んでいただけるというパターンが増えてきましたね。
本格焼酎は「癖が強い」「飲みづらい」というイメージが先行していますが、うちのじゃがいも焼酎は親しみやすく、焼酎を飲みたがらない方にも受けやすい仕上がりにしています。
品質の特徴とパッケージがぐっと近づいたことで、お客さんにも手に取っていただきやすくなりました。

ー僕もパケ買いしてしまいました!(笑)
商品メッセージに「焼酎を世界のスタンダードに。」とありますが、世界を見据えていらっしゃるんでしょうか?
ありがとうございます!(笑)
でも、世界的に見れば焼酎自体はまだまだニッチでこれからの段階です。
ただ、世界中にあるお酒のなかでも、同じジャンルでこれだけ原材料の幅がある蒸留酒は非常に珍しいんです。そのなかでも、微生物や麹を使って造る焼酎は非常に稀だと言われています。
「SAKE」や「ジャパニーズウイスキー」が世界的にも高く評価されていますが、それらの人気に焼酎も続いていきたいですね。
ー世界に広がるじゃがいも焼酎、楽しみです!今日はありがとうございました!
取材の終わりに
たくさんの人の想いのバトンが形になったじゃがいも焼酎「北海道・清里」。
ただ伝統を守るだけでなく、今後の未来を見据えて一本一本丁寧に造られていました。
丸みを帯びた優しい味わいで、これまで焼酎に触れてきていない人にもおすすめです。
知床に行ったら絶対に飲んでみてほしい、そんな逸品でした。
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